白畝村、というのが、この小さな港町の名前だった。
背後は山、家の前は海――そんなのどかで小さな終着駅の村に降り立ったわたし達を迎えてくれたのは、今別荘を管理してくれている涼夏さんという女性だった。
「涼夏おばさん! お久しぶりです!」
「お久しぶり、祥子さん……そちらが、前に言ってらしたお友達?」
「こ、こんにちは。山内紗穗です……祥子さんの、大学の友達です」
30~40代くらいだろうか。
車から降りたって祥子に歩み寄ってきた涼夏さんは、わたしの方を見てにこりと微笑んだ。
上品で、とても綺麗な――言い方は悪いが、この小さな漁村にはあまり似つかわしくないようなタイプだ。
祥子の遠縁の親戚だという涼夏さんは、別荘の管理の他に、小さな旅館を営んでいるという。
「紗穗さんね? いらっしゃい……何もないところだけれど、海産物は美味しい村なのよ。歓迎するわ……さあ、二人とも車に乗って。明後日からお祭りだから、少し道が混んでいるかもしれないけれど」
「お祭り? お祭りがあるんですか?」
車のトランクに荷物を詰め込みながら尋ねると、涼夏さんはふふ……と笑って、背後にそびえる山の方を指差した。
緑が深く生い茂ったそこは、あまり人の手が加わっていないように見える。
「この村にはね、シロウネ様という守り神がいるっていう、昔からの言い伝えがあるの。そして年に一回、夏祭りの時期に――五穀豊穣、大漁祈願のための神事を行うのよ」
「あれ、そうでしたっけ? お祭りって、秋だと思ってたけど……」
祥子が首を傾げる。
ハンドルを持って運転してくれる涼夏さんは、「あぁ……」と何かを思い出したようだ。
「それはきっと、収穫祭ね。秋は子供達が御神輿を担いだりするから。夏の神事は子供の立ち入りは禁止だし、きっと祥子さんが知っているのは収穫祭だけだわ」
「へぇ……知らなかったなぁ。ね、涼夏おばさん、そのお祭りって私とか紗穗も参加できる?」
「えぇ、大丈夫よ。神事っていっても、年々若い人が少なくなっちゃって……」
ホホ、と上品に笑う涼夏さんは、わたしの方にもちらりと目配せをする。
黒髪の美しさは祥子によく似ているけれど、彼女の場合はおしとやかで、楚々とした印象を強く受けた。
だけど――その目で見つけられて、わたしの体にはビリッと妙な電気が走ったようだった。
「ぁ……」
「紗穗さん、でしたよね? あなたもぜひ楽しんでいらして? 神事に参加する若い女性には、巫女として祭りの主役を務めることができるの。今年は――そうね、せっかくだもの、あなたたち二人が巫女役になるのもいいんじゃないかしら」
「え、私と紗穗が? でも踊りとか、そういう……神事? っていうの、やったことないよ?」
当然の不安を、祥子は涼夏さんに投げかけた。
今日来たばかりの私たちに、いきなり祭りの主役をだなんて、そんなのは無理に決まっている。
二人で顔を見合わせて、どうしたものかと言っている私たちに、涼夏さんはまた上品な笑顔を向けた。
「神事なんていっても、実際は神社から神主さんをお呼びするだけよ。巫女さんはそのお手伝いと、決められたことをすればいいだけ……わたしも若い頃に巫女役をしたことがあるけれど、なにも難しいことじゃなかったわ」
「ほ、本当……? なんだ、じゃあ大丈夫そうね」
涼夏さんも行ったことがあるという言葉に、祥子はホッとしたような息を吐いた。
確かに――一夏の思い出として、地元のお祭りに参加してみるのもいいかもしれない。
それに、きっと祥子の巫女姿はとても美しいだろう。
下心はあったものの、わたしはゆっくりと頷いて、窓の外を流れていく景色を眺めていた。
「すごい……わたし、海ってちゃんと来たことないの」
「あら、そうなの? でも……ごめんなさいね、神事の期間中は海の立ち入りが禁止になっているの。神聖なものだから、漁に出ることも禁じられているのよ」
「あ……そ、そうなんですか」
せっかく水着を持ってきたのに、ちょっとだけ残念だ。
けれど行くなと言われているのを、無理に出掛けるわけにもいかない。
しょんぼりと俯くわたしに、涼夏さんと祥子がそれぞれ笑いかけてくれる。
「海には行けないけれど、近くの山には小川があるわ。といっても、それくらいしかないけど……水が冷たくて、この時期は気持ちいいのよ」
「小川ですか? いいね、紗穗。行ってみようよ」
「うん……そうだね」
涼夏さんが運転する車は、それからしばらく海沿いを走って、別荘までやってきた。
二階建ての、いわゆる日本家屋だ。少し古いけれど――一見して、とても広い。
「す、すごい……! 祥子、やっぱりすごいお嬢様なんだね!」
「昔の家だから広いだけよ。ね、涼夏おばさん」
「そうねぇ……昔はこのあたりの漁師さんたちの網元って聞いてたけど、今はただの古いおうちよ。遠慮せず、好きな部屋を使ってね」
部屋はたくさんあるという涼夏さんに頷く。
――本当は、祥子の隣の部屋がいいな。もしその部屋が空いていたら、彼女にも声を掛けてみよう。二人でパジャマパーティーっていうのも少し変かもしれないけれど、思い出作りの一環だ。
そんなことを考えていると、家の中から背の高い男の人が出てきた。
無精髭を生やし、よく日に焼けた、どこか厳つい印象の男の人だ。
「あら、隆造……ちょうど良かった、彼女たちの荷物を運んでおいて」
「はい、涼夏さん。……どうも」
こちらに一度だけ頭を下げて、キャリーバッグや他の荷物を持っていって締まったその人に、わたしと祥子は顔を見合わせた。
「この家の、もう一人の管理人よ。わたしだけじゃ力仕事に困るから、この隆造が引き受けてくれているの」
「隆造さん……? お父さんやお母さんから、なにも聞いてないけど……」
「管理人っていっても、本当にわたしの手伝い程度のものなの。普段は漁師なんだけれど、困ったときにちょっとだけね。さ、部屋を決めたら遊びに行ってもいいわよ。でも、海にだけは近づかないようにね」
私と祥子はもう一度顔を見合わせて、それから二人で元気な返事を返した。
「はい!」
「さっき言ってた小川に行ってきます」
隆造さんに荷物を運んでもらったので、わたしたちはそのまま、帽子とサンダルだけを持って家の近くの山を散策し始めた。
山、といっても本当に小山程度で、隆造さんが手入れをしているのか、草が生い茂っているということもない。
比較的歩きやすい道を歩んでいると、祥子が「ねえねえ」とわたしの服を引っ張った。
「な、なに?」
「涼夏おばさんと隆造さん、怪しいよね」
「えー? やだ、祥子ってそういうのに興味あるの?」
「だって、あの感じ! 絶対デキてるよ。それに、涼夏おばさん独身だし……隆造さんみたいな人、いいと思う」
そう言ってニッコリと笑う祥子に、わたしはなんとも言えずに笑顔だけを返した。
だって――正直、わたしは涼夏さんと今日会ったばっかりだし……そういうことを考えつけるほど想像力が寬でもない。
その後、わたしたちは少し開けた場所に件の小川を見つけた。
水がよく澄んでいて、きらきらと太陽の光を反射している。
「見て! 紗穗もこっちおいでよ――すごく冷たい!」
「うん、今行くね」
そうやって冷たい小川に足をつけて遊んでいたけれど、わたしはずっと祥子を見つめていた。
飛び跳ねる水しぶきが、彼女の肌を、髪を濡らしていく……。
どうしようもない衝動が、じんと下肢を疼かせた。
「紗穗、どうしたの? 疲れちゃった?」
「う、うん。そうみたい……」
やっぱり、部屋は祥子の部屋から少し離してもらおう。
子供のようにはしゃぐ祥子を見つめながら、わたしは火照ってしまった息を吐いた。
つづく……
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