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翌日。
ちょっとだけ不機嫌そうに頬を膨らませる香苗を連れて、俺は長野の暮竹リゾートホテルへやってきた。
「いらっしゃいませ――あら、アキラくん! この前の結婚式はろくに挨拶もできなくて、ごめんなさいね」
「いえ……こちらこそお構いもできなくて。香苗、この人がこのホテルの支配人さんだよ」
俺たちを出迎えてくれたのは、タイトなスーツに身を包んだロングヘアの女性だった。
暮竹リゾートホテル支配人の、暮竹彩葉さん。暮竹グループ創始者の孫に当たる彼女は、俺にとっても遠縁だ。
「あ、えっと……汐田香苗です。よろしくおねがいします」
「よろしく――もう、アキラくんったらいつの間にかかわいいお嫁さん見つけちゃって」
肉感的な体をスーツで包み、パキッとした印象を与える彩葉さんは、かなり美人だ。
昔はミス●●大とか、そういうものにも選ばれていたらしい。スカートから伸びるすらりとした足には、思わず生唾を飲み込んでしまうほどだ。
「アキラさん?」
「あっ、ご、ごめん。それで、彩葉さん。俺たちの部屋なんですけど」
「もちろん、いいお部屋をご用意してるわよ? 新婚さんにぴったり」
そう言って、彩葉さんは俺たちを部屋へと案内してくれた。
ゴージャス&ラグジュアリーをウリにしている暮竹リゾートホテルは、内装もかなり凝っている。
一階はギリシャ風の彫刻をあしらい、広々とした開放感のあるエントランス。
二階と三階は浴場があって、大浴場や露天風呂、サウナなどの施設も完備してある。
「新しく、北欧式のサウナも作ったの。少し温度が高いけど、結構人気なのよ?」
「へぇ……じゃあ、結構うまいこといってるんですね? 彩葉さんのセンスがいいからかな」
「そういうわけじゃないわよ。ただ、お客様が必要とされてるニーズを汲みとって、よりよいサービスに繋げるだけ」
前を歩いていた彩葉さんが、そう言ってにっこりとほほえむ。
昔、兄さん達といっしょにこのホテルに来た時は、いつか彩葉さんみたいな人と一緒になりたいと思っていたくらいには、彼女に憧れを抱いていた。
もちろん今は大好きな香苗と一緒にここに来て、最高に幸せなわけだが――昨晩しっぽり何発かキメたのが悪かったのか、彼女はやや浮かない面持ちで黙り込んでいる。
「さ、こっちよ。二人のために、特別なお部屋を用意したんだから」
「……わ、すごい……!」
彩葉さんが扉を開けた瞬間、香苗が感嘆の声を上げた。
ホテルの最上階である十八階――まるでそのフロア自体が一つのゲストハウスのような、高級感と広さを誇っている。
「露天風呂も備えつけだし、ここからだとロケーションも最高よ。存分にくつろいでいってね」
彩葉さんはそう言って、簡単な部屋の説明をして出ていってしまった。
香苗はきょろきょろと部屋に備え付けられているキッチンや、アメニティを見つけては感嘆の息を漏らしている。
「どう、気に入った? って、俺もこの部屋に来るのははじめてなんだけど……」
「は、はい。ウチの定宿は和風なので、こういうところにあんまり来たことがなくって……」
香苗の実家は不動産業を営んでいるが、確かに彼女の父親は、こういうホテルよりも渋い旅館が好きそうなイメージがある。
「……浴衣、かぁ」
「え?」
「あ、いや、なんでもない」
和風と聞いて、湯上がりで浴衣姿の香苗を想像した瞬間、心臓がバクバクと高鳴ってくる。
今度二人で出かける時は、どこかいい旅館を探してみるか――そんなことを考えながら、俺はダブルサイズよりもなお大きな、クイーンサイズベッドに腰を下ろした。
「ベッドルームだけでもかなり広いな。……彩葉さんが言ってた露天風呂って、あっちかな? 香苗、露天楽しみにしてただろ?」
「え、えぇ。でも……」
露天風呂のことを振った途端、香苗はなにか言いたげに口ごもった。
ちらちらと、上目勝ちに此方を見てくるその表情は愛らしいけど、なにか言いたいことがあるなら言ってほしい。
「どうしたんだよ? なにか食べたいの?」
「そう、いうことじゃ……あぁ、でも、確かにおなかは空きましたね」
朝食は二人でパンを焼いて食べてきたくらいだし、もうそろそろ昼食の時間だ。
この辺りは食事も美味しいから、香苗の好きなものを食べに行こう。そう提案すると、彼女はキラキラと目を輝かせた。
「じゃ、じゃあ、おそば屋さんがいいです」
「そば? 香苗、そば好きなのか?」
もっと、ふわふわのパンケーキとか、可愛らしいカフェだとかに行きたがるものだと思っていた。
そう思って首を傾げると、香苗は少しだけ恥ずかしそうに俯いて、俺の服の裾を握ってきた。
「いろいろ、調べたんです……そしたら、この辺りはお水が綺麗だから、おそばが美味しいって……それで、アキラさんと食べたいなぁって……」
「んっ……! そ、そうか。うん、じゃあ、そば食べに行こうか。な?」
反則だ。
それは色々な意味で反則だ。
上目遣いで顔を赤らめ、恥ずかしそうに体をくねらせる香苗に、俺は一瞬人間の言葉を忘れてしまった。
ぶっちゃけこのままベッドの上に押し倒してしまいたい――そんな欲望をグッと堪えて、俺は香苗の右手を握りしめた。
「香苗が調べてきてくれたんなら、今回の新婚旅行はもうバッチリだな」
「そっ、そんなこと……ごはんとか、観光名所くらいしか調べてきてないし……それに、アキラさんはこのホテルに、何度も来たことがあるんでしょう?」
不安げに表情を翳らせた香苗が、僅かに顎を引く。
「なんだか、わたしだけがはしゃいでるみたいで……恥ずかしい、です」
「そんなことない! お、俺だって結構浮ついてるし、さ」
今回の新婚旅行は、結婚したばかりの、それも十歳も年下の嫁さんと、人目もはばからずイチャつける大チャンスなのだ。
東京に戻ったらそれなりに忙しくなるだろうし、二人きりの時間をたっぷりとるというのはなかなか難しい。
「今回はせっかく長い休み取ったんだからさ、香苗の行きたいところとか、食べたいものとか、そういうわがままを聞かせてくれよ。香苗が好きなものとかも、いっぱい知りたいし」
「ア、アキラさん……」
きょとん、と一拍おいて、まるで花が咲くように香苗の表情が晴れ渡る。
ああ――こういう時、彼女と結婚してよかったと心の底から思えるのだ。
「じゃ、まずは腹ごしらえしますか」
そうして、俺たちはホテル近くの町へと繰り出した。
この辺りは元々古くからある温泉町だが、近年行われた暮竹リゾートホテルの大規模開発によって外国人の観光客も増えている。
それもあってか、新しい店と古く貫禄のある店が入り交じっている不思議な町並みを見ることができた。
「お土産とか、どうします? 秘書課の皆様になにかとも思ったんですけど、国内ですし」
「秘書課かぁ……うーん、ちょっとしたお菓子とかでいいんじゃないかな? あんまりすごいもの買っていくと、秘書課の課長に怒られるんだよ」
そんなことを言いながら、二人で手を繋いで町を歩く。
彼女が調べてくれたそば屋で美味しいそばを食べた後は、ちょっとした観光名所を回ったり、外人のカップルに道を聞かれたり――二人でホテルに戻った頃には、体に心地よい疲労感がのしかかってくる。
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